世界史

歴史物語

  • 1900年代初頭のDIYネイルポマード:当時の手引書に残るオリジナルレシピ

    100年前のネイルケアの知恵爪がもろく、ガラスのように割れやすい——そんな悩みは現代だけのものではありません。100年以上前の女性たちは、身近にある天然素材を使って爪をケアしていました。今回は、1906年にミラノの出版社ソンツォーニョ(Sonzogno)から刊行された衛生・美容手引書『美しくなるために』に掲載された、天然成分のみで作る「ネイルポマード(爪用軟膏)」のオリジナルレシピをご紹介します。この手引書は、20世紀初頭、私たちの祖母や曽祖母にあたる世代の女性たちの間で大流行した美容指南書でした。化学化粧品が普及する前の時代ならではの、シンプルで実用的な処方が並んでいます。原文そのままのレシ

  • まぶたの腫れに効く?1900年代初頭イタリアの自然療法レシピ2選

    まぶたの腫れは、睡眠不足や消化不良など、現代でも多くの人が悩む身近なトラブルです。今回は、1906年にミラノのソンツォーニョ社(Sonzogno)から出版された健康・美容マニュアル『美しくなるために(Per essere belli)』に記載された、2つのレシピとケアのヒントをご紹介します。レシピ①:オイルベースのマッサージクリーム原文では、目が腫れたときには以下の配合による軽いマッサージが特におすすめとされています。ひまし油 5gワセリン 5gオリーブオイル 5gタンニン 0.50g没食子酸 0.50gレシピ②:収れん効果をプラスした軟膏もうひとつの処方は、次のような配合です。ワセリン 30

  • シシィとルートヴィヒ2世は恋人同士だったのか?二人を結んだ「魂の絆」の真相

    シシィ(エリーザベト)とバイエルン王ルートヴィヒ2世の肖像画オーストリア皇后エリーザベト――通称シシィと、バイエルン王国の悲劇の王ルートヴィヒ2世。この二人の間に確かに存在した深い絆は、今日に至るまで多くの研究者や歴史愛好家の関心を集め、さまざまな憶測を呼んできました。従兄妹以上の関係?欧州宮廷に流れた噂実は二人は従兄妹同士でした。しかし、その関係は通常の親族間の親愛之情をはるかに超える、極めて密接なものでした。二人はたびたび会い、手紙を交わし、互いに心の内を打ち明け合いました。シシィが訪れるたびに王が無上の歓喜を示したことから、当時のヨーロッパ各国の宮廷では「二人は恋人同士ではないか」という

  • バイエルン王ルートヴィヒ2世――苦悩に満ちた同性愛

    ルートヴィヒ2世と若き俳優ヨーゼフ・カインツ(写真左)女性に興味を示さなかった王バイエルン王ルートヴィヒ2世は、生涯を通じて女性に対してほとんど関心を示しませんでした。美しい従姉エリザベート(シシィ)との親しい交流も、実際には魂の通い合う二人をつなぐプラトニックな絆にすぎなかったといわれています。王が愛したのは男性だったルートヴィヒが心を寄せたのは男性でした。しかし彼は自らの同性愛を、性格上の理由からも、当時そのような性的指向を持つことが必然的に伴った社会的困難からも、深い苦痛の中で抱えて生きていました。多くの歴史家や伝記作家たちは、この抑圧された性こそが、エロティックな衝動を解放したいという

  • 1860年、世界初のドッグビスケットが誕生――アメリカ人ジェームズ・スプラットが切り開いたペットフードの歴史

    世界初の犬用ビスケットは1860年に誕生しました。発明したのは、アメリカの起業家ジェームズ・スプラット(James Spratt)です。 動物と人間の長い付き合い 動物が人間と共に歩んできた歴史は、文明の夜明けまでさかのぼります。しかし、犬や猫を単なる使役動物ではなく、家族の一員として家庭に迎える習慣が広まったのは、実は19世紀になってからのことでした。 それ以降、四つ足の仲間と暮らすことは、ブルジョワ階級から庶民の層に至るまで、あらゆる社会階級を巻き込む「大衆的な流行」となっていきます。この流れが、ペットの栄養と健康のために特別に作られた専用製品の誕生へとつながっていったのです。 ジェーム

  • マタ・ハリ:史上最もセクシーなスパイの短い伝記

    「太陽の瞳」と呼ばれた伝説の女性 彼女は1876年、オランダに生まれ、本名をマルグリータ・ヘールトロイダ・ゼレといいました。しかし世界が知り、今もなお記憶し続けているのは、マレー語で「太陽の瞳」を意味するマタ・ハリという名前です。彼女は現代史において最も有名で、最もセクシーなスパイとしてその名を刻んでいます。 結婚、そしてパリへ 1895年、19歳だったマルグリータは、自分よりかなり年上の将校ルドルフ・マクラウドと結婚し、二人の子どもに恵まれました。しかしその生活に疲れ果て、不満と退屈を感じていた彼女は、不幸な結婚生活から逃れるべく1900年に離婚し、新たな人生を求めてパリへと渡ります。 伝

  • アルトゥージ流「フロスト・オレンジゼリー」のレシピ|19世紀イタリアの古典料理書より

    オレンジゼリー——19世紀イタリアの食卓に欠かせなかった、上品で爽やかなデザートです。 アルトゥージの「フロスト・オレンジゼリー」とは 今回ご紹介するのは、イタリアの美食家ペッレグリーノ・アルトゥージによる名著『台所の科学と食卓の芸術』(La scienza in cucina e larte di mangiar bene)に収録されたレシピです。 紹介するのは、「霜(フロスト)のオレンジゼリー」という一品。オレンジとレモンの果汁に、アルケルメスとラム酒の香りを添えた、当時の洗練されたデザートです。 材料 砂糖:150g ゼラチン(にら):20g 水:4デシリットル(400ml) ア

  • アルトゥージ流 いちごの冷たいゼリー|19世紀イタリアのスプーンデザートレシピ

    前回はオレンジのゼリーのレシピをご紹介しましたが、今回は同じくペッレグリーノ・アルトゥージによるいちごの冷たいゼリーのオリジナルレシピを取り上げます。 これは、彼の代表作である料理本『台所の科学とおいしく食べる術』(原題:La scienza in cucina e larte di mangiar bene)に掲載された、もう一つのスプーンデザートです。同書は19世紀からその後の時代にかけて、イタリアはもとよりヨーロッパ全体の美食文化に絶大な影響を与えたことで知られています。 アルトゥージの原文に記された材料 以下は、原著のテキストにそのまま記されている材料です。当時の分量を現代の単位に置

  • 1930年代のダイエット事情:奇跡を謳った「海藻石鹸」の真実

    痩身効果を謳って売り出された石鹸の広告「痩せたい」という願いは、いつの時代も変わらないスリムな体型への憧れは、現代だけの美の基準ではありません。実は、遠い昔から多くの時代において、女性たちの共通の願いであり続けてきました。海藻石鹸――奇跡の痩身アイテムとして登場1930年代、化粧品業界は新たな商品を開発しました。それが、余分な体重とほとんど奇跡的な方法で戦えると謳った「海藻石鹸」です。発売に合わせて展開された大々的な広告キャンペーンでは、その驚くべき作用メカニズムが喧伝されました。石鹸に配合された成分、とりわけ海藻の有効成分が肌から浸透することで、体に余分な脂肪を除去したり減らしたりできるため

  • ビクトリア朝時代、痩せることは逃げられない「美の義務」だった

    痩せることが絶対条件だった時代 ビクトリア朝時代の女性たちにとって、痩せていることは避けて通れない美の絶対条件でした。 歴史の各時代にはそれぞれ固有の美的基準が存在しますが、「細身であること」はほぼすべての時代において、逃れることのできない命令のように扱われてきました。 ビクトリア朝時代の女性も例外ではありません。できる限りスリムな体型を保ってこそ、当時のファッションが求めた硬く、極めてきついコルセットを着用することが許されたのです。 19世紀イギリスにおける理想の女性像 19世紀のイングランド、偉大なるヴィクトリア女王が王位に就いていた頃、理想の女性とは「痩せており、肌は青白く、やつれて血

  • マタ・ハリ銃殺刑の真実——伝説のスパイが見せた最期の凛とした姿

    マタ・ハリ(Mata Hari)——その本名はマルガレータ・ヘールトロイダ・ゼレ(Margaretha Geertruida Zelle)。第一次世界大戦中にスパイ容疑で裁かれ、決して公正とは言えない裁判の末、銃殺刑を宣告された女性です。減刑や恩赦を求めるあらゆる働きかけも実を結ばず、彼女の運命は定められてしまいました。1917年10月15日、ヴァンセンヌでの処刑処刑が執行されたのは、冷たく霧の立ち込める秋の朝、1917年10月15日、パリ近郊のヴァンセンヌでした。その場に居合わせた人々——彼女の弁護士、最期の日々を看護した修道女たち、監獄医、そして処刑を担うズアーブ兵の分隊——は、誰もがこの

  • アンネ・フランクの日記、隠されていた「禁断のページ」2枚が発見される

    隠されていたページの発見 アンネ・フランク基金は、SNSでの発表を通じて、世界的に有名な「アンネ・フランクの日記」に、これまで誰も知らなかった2枚のページが新たに発見されたことを明らかにしました。 この発見をもたらしたのは、基金自らが指揮した2チームの専門家による調査です。日記の原本であるノートは、すでに老朽化して非常に脆くなっており、保存状態を守るために10年に一度しか分析できない貴重な資料となっています。そうした厳重な管理のもとで行われた今回の調査により、アンネが茶色の紙を貼り付けて覆い隠していた2枚のページの内容を解読することに成功したのです。この紙を貼ったのは、おそらく「際どい」内容

  • フランコ・カリファノの名曲はレオパルディから生まれた?「その他すべては退屈だ」に隠された意外な由来

    レオパルディの名作『無限』の手稿。フランコ・カリファノが、この偉大な詩人の言葉からインスピレーションを得て、自らの代表曲のタイトルを思いついたのかもしれない。「その他すべては退屈だ」——偶然の一致か「Tutto il resto è noia(その他すべては退屈だ)」は、イタリアの歌手・作詞家フランコ・カリファノの最も有名な楽曲の一つです。しかし、この曲のタイトルは、実は19世紀の偉大な詩人ジャコモ・レオパルディの文章からヒントを得たものかもしれないのです。「レカナーティのどこに美しいものがあるというのか?人がわざわざ見て学ぼうとするようなものなど、何もない!ここで唯一の楽しみは勉強だけ……そ

  • サッカリンはいつ、誰によって発明されたのか?

    身近な人工甘味料として広く知られているサッカリン。その発見は1879年にさかのぼります。そして、科学史上しばしば見られるように、この発見もまた純然たる偶然によってもたらされたものでした。研究室からの帰り道、サンドイッチから始まった発見発見のきっかけをつくったのは、化学者のコンスタンティン・ファールベルク(Constantin Fahlberg)です。彼は実験室での研究を終えて帰る途中、何気なくサンドイッチを口にしました。ところが、いつもよりも甘みが強いことに気づきます。その原因は、彼の手に付着していたサッカリンでした。サッカリンは、石炭タールの研究で使用していたトルエンが酸化されて生じる物質で

  • ジョヴァンニ・パスコリの死因:死亡診断書に記された「胃癌」の裏に隠された真実

    ジョヴァンニ・パスコリ(Giovanni Pascoli)イタリアが生んだ偉大な詩人にして、ヨーロッパ・デカダン主義(退廃主義)を代表する作家の一人であるジョヴァンニ・パスコリ。私たちは彼の死について、どれほど知っているでしょうか。パスコリは1912年4月6日、ボローニャでこの世を去りました。ジョズエ・カルドゥッチの後任として同大学のイタリア文学教授を務めて以来、彼はこのエミーリア地方の都市で暮らしていました。名誉教授となったばかりの彼は、まだ56歳でした。何が、あまりにも早すぎる死をもたらしたのでしょうか。公式の死因は「胃癌」公式には、死亡診断書に記されている通り、パスコリは胃癌で亡くなった

  • アレッサンドロ・マンゾーニの実の父は、おそらくマンゾーニではなかった

    幼いアレッサンドロと母ジュリア・ベッカリーア イタリア文学を代表する巨匠アレッサンドロ・マンゾーニ。代表作『いいなずけ(I Promessi Sposi)』で知られる彼の出生には、実は長年語り継がれてきて「秘密」とも呼べる謎がある。公式にはミラノの名門マンゾーニ家の息子とされるが、多くの研究資料がその父性に真剣な疑問を投げかけているのだ。いったい、なぜなのか。 名門の血を引く誕生 アレッサンドロ・マンゾーニは1785年3月7日、啓蒙思想の旗手として名高いチェーザレ・ベッカリーア(著書『犯罪と刑罰』で世界的に著名)の娘ジュリア・ベッカリーアと、市内でも最も由緒ある家柄の一つに連なるピエトロ

  • トルテッリ――アルトゥージの名著から学ぶ、本場イタリアの詰め物パスタ

    トルテッリのレシピ少し間が空いてしまいましたが、「歴史の一粒(Pills of History)」での投稿を再開いたします。今回もご好評いただいているシリーズとして、イタリア料理の父とも称されるペレグリーノ・アルトゥージ(Pellegrino Artusi)の名著、『台所の科学、ならびに美味しく食べる術』(La scienza in cucina e larte di mangiar bene)から、家庭で再現できるレシピをご紹介していきます。今回は、イタリアの伝統的な詰め物パスタであるトルテッリ(Tortelli)を自宅で作るレシピを選びました。以下、原書の記述を忠実にお伝えします。材料リコ

  • アルトゥージ流ナポリ風プリン――19世紀イタリアの名料理書に学ぶ伝統デザート

    時を超えた美味しさ――アルトゥージのナポリ風プリン本当に美味しいスイーツには、時代というものはありません。19世紀に出版されて以来、大きな成功を収め続けてきた料理書『台所の科学と美味しく食べる術』(原題:La scienza in cucina e larte di mangiar bene)。その著者であるペッレグリーノ・アルトゥージが残した、このナポリ風プリンもまた、今なお色あせない逸品です。作ってみたい方は、以下の手順をご覧ください。ここからは、原文をそのまま引用します。ナポリ風プリンの作り方(原文より)「牛乳3カップでセモリナ粉を炊く。固くなりすぎないよう注意すること。火から下ろしたら

  • 1900年代:バスルームに「モダン」なバスタブが登場

    レトロ調のバスタブが語る入浴の歴史 金属板製の桶から始まった入浴文化 何世紀ものあいだ、体を洗うための器は、ホーローやラッカー加工を施した金属板製のシンプルな桶でした。当時、入浴はもっぱら女性の営みとみなされ、男性の多くはこれを「女性的な行為」と捉え、敬遠していたのです。 今日私たちが知る形に近い大型のバスタブは、湯を満たすために大量の水を必要としました。そのため長いあいだ、ごく限られた人々だけが楽しめる一種のぜいたく品であり続けたのです。 1850年頃:巧みだが危険だったガス加熱システム 1850年頃になると、バスタブには画期的でありながら危険をはらんだガス加熱システムが取り付けられるよう

  • ヴェルサイユ宮殿の使用人は何人?最盛期を支えた膨大な人数の実態

    ヴェルサイユ宮殿の太陽王ルイ14世。宮殿で働く使用人の数は、想像をはるかに超えるものでした。世界最大の宮殿を支えた人々17世紀から18世紀、最も華やかな全盛期を迎えていたヴェルサイユ宮殿には、一体何人の使用人が働いていたのでしょうか。世界最大かつ最も豪華な宮殿を、その輝きのまま維持するためには、どれほど多くの男女が必要だったのでしょうか。建物の途方もない規模や、維持しなければならない格式を考えれば、この疑問が湧いてくるのは自然なことです。実際、ヴェルサイユ宮殿には約2,300もの部屋があり、庭園や噴水の管理だけでも膨大な人手を必要としました。165ページに及ぶ使用人の名簿この問いに対する答えは

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