世界史

ヨーロッパの歴史

  • 英国では「狂人」が見世物にされていた頃、スペインは世界初の精神科治療病院を開設していた

    ベドラム——混沌の代名詞となった病院野蛮な者、愚か者、あるいは「血なまぐさいスペイン人」と蔑まれていた私たちが、世界初の治療組織を備えた精神医療施設を開設していた頃、紳士の国イギリスでは、人々が余暇を利用して、哀れな精神病患者たちが繰り広げる「見世物」を観覧していたのである。まさに「黒い伝説」の類の話だ。狂気は悪魔の仕業だった時代かつて狂気は、悪魔憑きに代表される超自然的な悪、あるいは犯した罪への神罰と同一視されていた。やがて狂気は「理性の喪失」とみなされるようになるが、その唯一の処方箋とされたのは隔離であり、患者は拷問そのものと言える残酷な「実験」の対象にされ続けた。14世紀、ロンドンのベツ

  • アジアの壮観な6つの城——CGで蘇る全盛期の姿

    タイムトラベルが好きな私からのご提案です。歴史上最も代表的な文明を数多く育んできたアジアの砂漠、河川、ジャングル、草原、平原に点在する、6つの廃城を訪ねてみませんか。もちろん、これらの城を見るのに本当に時を超える必要はありません。バックパックを背負い、Googleマップで位置を確認して現地へ向かえばいいだけです。しかし今回ご紹介するのは、デザイナーと建築家たちが手がけた建築レンダリングや復元アニメーションの力で、かつての全盛期の姿をまるで目の前に見るような旅です。さあ、ご一緒しませんか。アラムート城(イラン)9世紀半ばに建造されたこの要塞は、1090年に「山の老人」の異名を持つハサン・サッバー

  • フランシスコ・ロルダン・ヒメネス――「アメリカン・ドリーム」の生みの親は15世紀に遡る

    現在、「アメリカン・ドリーム」という言葉は、個人の成功や、アメリカ合衆国に渡った移民なら誰でも成功をつかめるかもしれないという可能性と結びつけられている。しかし、ロンドン大学でアメリカ文学を教えるサラ・チャーチウェル教授によれば、その意味は時代とともに変化してきたという。1900年当時は正義と経済的平等の同義語であり、第一次世界大戦の勃発とともに国際民主主義への憧れへと変貌した。戦間期には個人の富の蓄積を指すようになり、大恐慌が社会正義の色合いを加え、第二次世界大戦で自由民主主義へと転化、戦後には資本主義的なひねりが施された……そうして今日に至る。だが、糸を引っ張ってどこまで辿れるか試してみる

  • CGでよみがえる!ヨーロッパの廃墟となった壮大な7つの城、全盛期の姿を再現

    テクノロジーは、私たちの生活を豊かにするだけでなく、時を超えた旅をも可能にしてくれます。今回はその力を借りて、ヨーロッパ全土で最も威容を誇り、個性豊かな7つの城を、かつての全盛期の姿のままご覧いただきましょう。戦争の影響や長年の放置によって、これらの城は今や廃墟と化しています。しかし、デザイナーや建築家たちが手がけた建築レンダリングや再現アニメーションのおかげで、失われた姿を鮮やかに蘇らせることができるのです。ダノッター城(スコットランド)スコットランド北東部の海岸に突き出た岬の、切り立った岩場の絶壁の上にそびえ立つ城です。現存する建物は主に14世紀から15世紀のものですが、それ以前から要塞と

  • アルフォンソ10世――「賢王」の光と影、知られざる権力闘争

    アルフォンソ10世(通称「エル・サビオ」=賢王)といえば、学問と文化を愛した君主としてその名声は常に結びつけられてきました。彼は治世において科学や文化を振興しただけでなく、自身もトゥバドゥール(吟遊詩人)や作家として創作活動に積極的に関わったことで知られています。しかしその一方で、教会、貴族、側近たち、さらには自らの家族との間に数多くの対立の火種を抱えていたことは、一般にはあまり知られていません。これらの対立は1272年の貴族反乱へと発展し、最終的には弟ファドリケ王子の処刑という悲劇的な結末を迎えたのです。明確な政治ビジョン――中央集権化への執念このカスティーリャの君主は、即位当初から明確な政

  • バイキングは「生まれた」のか、それとも「作られた」のか?――北の戦士たちの虚像と実像

    修道士たちの恐怖が生んだ「悪魔の像」 神の司祭たちの血は教会を染め、あらゆる聖品を奪い去られた教会は、異教徒の略奪にさらされている。主よ、北欧人の激怒から我らをお救いください。 こうした文体の記録を目にすれば、北欧人たちの評判がひどく傷つけられ、その遺産が「残酷で血に飢えた略奪者」であると受け取られるのも無理はない。そもそもこれらの記録を書き残したのは、襲撃を身をもって経験した修道士たちであり、一方の『エッダ』や『サガ』が記されたのは、彼らの民族がすでにキリスト教化し、古来の神々を捨て去った後のことだった。 もしかすると、獅子は描かれるほど猛獣ではないのかもしれない。そして間違いなく言えるのは

  • 動物も裁判にかけられた時代――オータンのネズミを見事に弁護した伝説の弁護士バルトロメオ・シャサネ

    豚や牛、あるいは野生動物が法廷に立たされる――そんな光景を想像できるだろうか?これは茶番劇の話ではない。必要な手続き上の保障がすべて整い、被告人には国選弁護人がつく、本格的な裁判の話である。実は19世紀頃まで、動物を罪に問い、正式に裁判にかけることは決して珍しい慣行ではなかった。社会における人間同士の関係を規定する正義や秩序の観念は、時代とともに大きく変遷してきた。今では動物を裁くなど誰も思い浮かべないが、かつては「有罪者を罰すること」こそが何よりも重要であり、相手がどれほど理性を持たない生き物であろうと、裁かれ、断罪され、場合によっては破門され、処刑されなければならなかったのだ。さらに驚くべ

  • 17歳の貴公子を斬った武士は、なぜ僧となったのか――一ノ谷の戦いと熊谷直実の悲劇

    日本の運命を分けた源平合戦日本の歴史において、国の行方が大きく左右された転換点は何度も訪れましたが、12世紀末に勃発した源平合戦(治承・寿永の乱)はその代表格です。平氏と源氏という二大武士団が国家の覇権を懸けて長く血みどろの内戦を繰り広げ、国土全土が激しく揺れ動きました。しかし、歴史は合戦や武勇伝だけではありません。今日お話しするのは、英雄譚とはひと味違い、反戦的なメッセージさえ宿る物語です。それは日本史上最も有名な決闘の一つとして、詩や軍記物語で幾度となく語り継がれてきた逸話でありながら、その結末は通常のものとは少々異なっていました。平氏と源氏、最後の対決へまず状況を整理しましょう。平氏と源

  • 史上最大の海戦は今や陸上で――鄱陽湖の戦いと干上がった中国最大の淡水湖

    フビライ・ハンが中国に打ち立てた元王朝は、14世紀半ばにはその終焉を迎えつつあった。元の後継者の座を巡って覇を競ったのが、明と漢という二つの勢力である。誰が元の帝位を継承するのか――その答えは、武力によって決められることになった。1363年8月30日から10月4日にかけて、両勢力は鄱陽湖(はようこ)で、後に「史上最大の海戦」と呼ばれることになる大規模な戦いを繰り広げた。史上最大の海戦が湖の上で行われたというのは、一見すると不思議に思えるかもしれない。しかし、中国最大の淡水水域である鄱陽湖ならではのスケールが、それを可能にしたのだ。全長170キロメートル、平均幅17キロメートル(面積3,585平

  • 石が教会を砕いた日――教皇ルキウス2世、在位1年足らずの非業の死

    スペインの作家フランシスコ・デ・ケベードは、かつてこう語った。「一粒の石が、建物全体を崩壊させる」そして今回取り上げる石こそ、悪意を込めて投げられた一粒の石であった。それは教会を揺るがし、その「目に見える頭」である教皇ルキウス2世を打ち砕いた。ルキウス2世は1144年3月12日に聖ペトロの座に就いたものの、翌1145年2月15日に没しており、在位期間はわずか1年足らずだったのである。王との権力闘争――調子に乗った教皇歴史を振り返れば、教皇が国王や皇帝と権力をめぐって鎬を削ってきた例は枚挙にいとまがない。今回の対立劇の主役は、教皇ルキウス2世とシチリア王ルッジェーロ2世である。即位後、いくらか有

  • カノッサのマティルダ――教会に崇められ、皇帝を雪の中で跪かせた中世イタリア最強の女性

    礼拝と巡礼の地であるヴァチカンは、歴史を通じて常に「男性の世界」であった。しかし、その中に足場を築き、埋葬を許された女性が歴史上わずかに4人存在する。キプロス女王シャルロット、スウェーデン女王クリスティーナ、ポーランド王女マリア・クレメンティナ・ソビエスカ、そして本稿の主人公であるカノッサのマティルダである。マティルダは、いかなる功績によってこの特別な栄誉――特権と呼べるならばだが――に値する存在となったのだろうか。イタリア有数の名門に生まれてマティルダは1046年、イタリアのマントヴァで生まれた。父ボニファーチョ3世はイタリアで最も裕福かつ強力な貴族の一人で、いくつもの城を所有し、ロンバルデ

  • コルドバ人がアレクサンドリアを占領し、クレタ島に王朝を打ち立てたとき

    西暦818年、グアダルキビール川左岸に位置するコルドバの郊外地区(アラビア語でアル・ラバド、すなわち郊外)の住民たちは、街へ繰り出して抗議行動を起こしました。きっかけとなったのは、地元の刀剣職人が、アミール(首長)の親衛隊の兵士に殺害された事件です。兵士は職人の仕上げた作品に満足せず、口論の末、剣で彼を刺し殺したといわれています。しかし、この一件はあくまで引き金にすぎませんでした。郊外の住民たちは長年「二級市民」として軽んじられ、コルドバのアミールアル・ハーカム1世が発布した増税にも不満を募らせていたのです。事態は急速にエスカレートし、狩猟を終えてコルドバへ戻ったアミールが到着した頃には、抗議

  • 天然の媚薬「スペインカンタリス」――効果は絶大、しかし命に関わる危険も

    ご存じの方も多いだろうが、知らない方のために説明すると、バイアグラはいわゆる「セレンディピティ」――偶然から生まれた科学的発見――の産物である。1993年、狭心症治療薬の臨床試験に参加した男性ボランティアたちに「その他の効果はありましたか」と尋ねたところ、彼らは少々照れながらも「勃起した」と答えた。この報告を受けて、科学者たちは勃起不全(ED)との闘いに研究の矛先を向けたのである。ところで、歴史上最も有名で、最も広く使われてきた血管拡張剤――陰茎への血流を促すもの――は、実はバイアグラではなく「スペインカンタリス(Spanish fly)」、日本語では単にカンタリスと呼ばれる虫である。スペイン

  • 中世の理髪師は“サーモミックス”だった?理髪店ポールに隠された意外な歴史

    中世ヨーロッパでは、病院が各地で栄え始めました。とりわけテンプル騎士団や聖ヨハネ騎士団(ホスピタラー騎士団)といった宗教騎士団が活動した土地では顕著でした。これらの病院は修道院や騎士団に付属し(例:聖ヨハネ騎士団が運営したエルサレムの病院)、主に修道士や聖職者によって切り盛りされていました。修道士たちの「慈善医療」の限界当初、これらの病院では病人だけでなく、巡礼者や貧しい人々、捨てられた子どもたちまで受け入れていました。一般の医師とは異なり、医療を担う修道士たちは医学と慈善を同時に実践していたのです。しかし、それは検閲を免れたごく少数の医学書に頼る慈善医療にすぎず、当然ながら研究や実験を行う力

  • 中世ロンドン歓楽街の影の支配者――ウィンチェスター司教と「鵞鳥」と呼ばれた娼婦たち

    中世ヨーロッパにおいて、売春は奇妙な二重基準のもとに置かれていた。道徳面では教会から厳しく断罪されながら、制度としては国家に容認されていたのである。教皇の玉座(あるいは司教座)と王位に誰が着くかによって、弾圧が緩んだり強まったりした――コップの水を「半分ある」と見るか「半分ない」と見るかのような違いではあるが。教会の指導者の中にも、この問題について独自の見解を持つ者がいた。「売春宿を閉ざせば、情欲がすべてを覆い尽くすだろう。」――聖アウグスティヌス「許されるべきだ。悪しきものをすべて禁じれば、あまりにも多くの良きものを失うことになる。」――聖トマス・アクィナス見て見ぬふりをする者の目には、売春

  • 中世に修道女になるのにお金が必要だったってご存知ですか?

    中世の女性に許された二つの道何世紀にもわたり、女性が担いうる「価値ある役割」は、妻(そして当然ながら母親)になること、あるいは修道女になることの二つだけでした。夫に生涯を捧げるか、神に捧げるか。その選択は、両親や後見人、家庭の事情、そして単純に経済的な問題によって決められることが少なくありませんでした。そして興味深いことに、どちらの選択にも経済的な出費が伴っていたのです。結婚には持参金(ダウリー)が不可欠社会的地位にかかわらず、結婚を望む女性は持参金を持参しなければならず、これは夫が受け取り、管理するものとされていました。この「支払い」の意味については、論者によって解釈が分かれています。一説に

  • 貞操帯と初夜権の神話は誰が作り出したのか?――「中世=暗黒時代」説の真相

    15世紀を通じて中世世界が衰退していくにつれ、ヨーロッパでは古典的なギリシャ・ローマ文化の価値への回帰が求められ、ルネサンスが幕を開けました。科学の分野にも革新の波が押し寄せましたが、ルネサンスの主な拠点であり、その代表格となったのは何といっても芸術の分野でした。封建制度を後にして、新たな社会階級であるブルジョワジーが台頭し始めます。彼らは資本主義と商業経済の基礎を築き、18世紀半ばには文化的・知的運動である啓蒙思想の旗手となりました。この運動はやがてフランス革命(自由・平等・博愛)と産業革命として結実します。王、貴族、聖職者が支配を敷いた中世とはまったく異なる新しい社会の人々にとって、「中世

  • 免罪符の歴史――魂を楽園へ運ぶ「パスポート」と呼ばれたもの

    スペイン王立アカデミー(RAE)によれば、免罪符(インダルジェンシア)とは、すでに赦された罪に対応する時間的な罰を神の前で免除するものであり、教会の仲介を通じて得られるものと定義されています。語源はラテン語のindulgentia(寛容、親切、あるいは何らかの免除――常に上位者から下位者へ与えられるもの)であり、動詞indulgeo(寛容である、譲る)に由来します。基礎が固まったところで、早速その歴史を掘り下げていきましょう。 免罪符の起源――厳しい贖罪の緩和から始まった 免罪符の実践の最初の先例は3世紀に遡ります。当時、特に重いとされた罪に対して科される贖罪(ペナンス)は非常に厳しいもので

  • 死者は人を殺せるのか?――ヴァイキングの伯爵を死に追いやった「死んだ敵の牙」

    ノルウェー王ハーラル1世とオークニー諸島遠征9世紀、ノルウェー王ハーラル1世を悩ませていたのが、沿岸部を荒らし回る海賊たちの略奪行為でした。そこで彼は875年、海賊の拠点となっていた、現在のスコットランド北方に位置するオークニー諸島およびシェトランド諸島への討伐遠征に乗り出します。海賊たちは手痛い懲罰を受け、島々から追放されました。この戦いで息子を一人失ったことへの見返りとして、ハーラル王はログンヴァルズ・エイスティンソンに島々の統治権と伯爵位を授けました。ところがログンヴァルズは、王の許可を得たうえで、その土地と称号を弟のシグルズ・エイスティンソンへ譲り渡すのです。「偉大なる者」シグルズの台

  • 万里の長城は「世界最大の墓地」でも「宇宙から見える建造物」でもない――二つの俗説の真実

    19世紀末、科学者のJ・アレクサンダーはホウレンソウの栄養成分を研究し、その注釈の中で「100グラム中に鉄分0.003グラム(3ミリグラム)が含まれる」と記しました。ところが秘書が筆記する際に小数点の位置を打ち間違え、研究は「鉄分0.03グラム(30ミリグラム)」という数字のまま公表されてしまいます。結果としてホウレンソウの消費量は30%増加し、生産者たちは大いに喜びました。1930年にはドイツの科学者グループがこのデータを否定し、筆記ミスだったことを突き止めます。 それなのに今でも、人に聞けば「ホウレンソウは鉄分が豊富な食品の代表格」と信じている人が少なくありません。どうやら誤りというものは

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