世界史

歴史物語

  • 中世ヨーロッパのクリスマス菓子「ヌカート(Nucato)」のレシピ

    中世から受け継がれるクリスマスの味「ヌカート」とは? クリスマスがもうすぐそこまでやってきました。今年も、何百年も前から人々を魅了してきたこの一年で最も美しい祝祭にふさわしい、歴史ある伝統料理のレシピをご紹介します。 今回取り上げるのは、中世ヨーロッパで愛されたクリスマス菓子「ヌカート(Nucato)」です。ヌカートは、はちみつとナッツをじっくり煮詰めて作る南イタリア発祥の伝統菓子で、中世にはすでに広く親しまれていました。現在でもカラブリア州やバジリカータ州などの南イタリアでは、クリスマスの定番のお菓子として受け継がれています。以下のレシピは、中世史サイト sguardosulmedioev

  • 中世ヨーロッパのクリスマス気分を味わう!スパイスワイン「ヒポクラース」のレシピ

    ヒポクラース(Hippocras)今年のクリスマスは、いつものお酒とは少し違うものを楽しんでみませんか?定番のドリンクに加えて、中世ヨーロッパのクリスマスシーズンに大流行した一杯を試してみてはいかがでしょう。ここでは、イタリアの中世専門ブログ sguardosulmedioevo.org からご紹介する、ヒポクラース(スパイスワイン)のレシピをお届けします。中世のレシピによるスパイス入り赤ワインヒポクラース(中世風スパイスワイン)の材料約1リットル分:・コクのある赤ワイン「メルロー」…1リットル・はちみつ…大さじ1・しょうがパウダー…小さじ1・砂糖…大さじ1・クローブ…4個・ナンキョウ(ガラン

  • メガネの発明:その起源は中世にさかのぼる

    世界初のメガネは中世に誕生した物をよりよく見るための道具であるメガネの発明は、中世にさかのぼります。その証拠となるのが、写真にも紹介されている1352年制作のフレスコ画です。ただし、メガネの原型となる両凸レンズ自体は、それより早い1286年にイタリアのピサですでに作られていたとされています。中世以前、視力の悩みは治せなかった中世より前の時代、近視や老眼といった一般的な視力の問題に対する有効な手段は存在せず、人々はそうした不便を受け入れながら暮らすほかありませんでした。メガネの登場は、読書や細かい作業を必要とする人々、特に高齢の学者や聖職者にとって大きな福音となったのです。鼻に直接乗せるだけのシ

  • イースターケーキの中世レシピ――ペコリーノと卵で味わう復活祭のごちそう

    中世の食卓に蘇る、イースターの味数週間後に控えたイースター(復活祭)を迎えるにあたり、今回は中世ヨーロッパの時代から受け継がれるレシピをご紹介します。卵やチーズをふんだんに使ったこの焼き菓子は、春の訪れとともに祝われる復活祭ならではの、素朴で心温まる一品です。レシピは、中世料理を多数紹介するイタリアのサイト bluedragon.it に掲載されていたものをそのまま参考にしています。同サイトでは、このイースターケーキ以外にも、実際に再現できる中世レシピが数多く公開されているので、興味のある方はぜひ覗いてみてください。材料(4人分)・パン生地…250g・小麦粉…100g・柔らかいペコリーノチーズ

  • 中世ヨーロッパのバストケア:植物と花に秘められた美容の知恵

    中世の女性たちにとって、胸元は最も大切に手入れすべき身体の部位の一つでした。バストへのこだわりは現代だけではない「胸の美しさ」への関心は、現代ならではの流行だと思っていませんか?実はそれは大きな誤解です。胸は女性らしさの象徴ともいえる部位であり、女性たちは有史以来、できる限り長く若々しくハリのある状態を保とうと、さまざまな工夫を凝らしてきました。整形外科が登場する前の手作り美容法現在のような形成外科・美容外科の技術は、その萌芽が19世紀にようやく見られる程度でした。それ以前の時代の女性たちは、主に植物や花を原料とした手作りの美容レシピに頼るしかありませんでした。とはいえ、これらの民間療法には、

  • 13世紀のチェス駒を偶然発見!イングランドの博物館に眠っていた中世の遺物

    博物館の中庭で見つかった驚きの発見イングランド、オックスフォードシャー州の有名な博物館の中庭で、興味深い発見がありました。なんと、13世紀にさかのぼるチェスの駒が、偶然にも見つかったのです。発見されたのは、高さわずか21ミリの小さな「旗手(スタンダードベアラー)」と呼ばれる駒です。専門家によれば、この駒はほぼ間違いなくアラブ起源のチェス盤の一部であったと考えられています。最古級のボードゲーム「チェス」と中世ヨーロッパご存じのとおり、チェスは世界で最も歴史のあるゲームのひとつであり、中世ヨーロッパにおいても大変な人気を博していました。貴族や騎士たちの教養として親しまれ、その戦略性は軍事訓練の一環

  • アッシジの聖フランシスコ:その身を蝕んだ数々の病い

    アッシジの聖フランシスコ 信仰を貫いた病弱な聖人 アッシジの聖フランシスコは、中世において最も重要な宗教者・詩人・人物の一人として知られています。彼の生涯は、多くの病いに苦しみ続けるものでした。これらの病は次第に彼の肉体を蝕んでいきましたが、彼を支えていた揺るぎない信仰と、その存在全体を貫く驚くべき精神力までは決して損なうことはありませんでした。 聖フランシスコが患った病気 聖フランシスコは生涯を通じて、マラリアと結核に罹患し、さらに肝臓・脾臓・胃の疾患にも悩まされていました。そして晩年には、原因不明とされる深刻な眼の障害が加わったのです。 この眼病については、多くの歴史家が、当時ナイル川流

  • 絵画と歴史:ヒエロニムス・ボスが描いた中世の「狂気の石」摘出手術

    《狂気の石の摘出》ヒエロニムス・ボス作(1492年頃)。マドリード、プラド美術館所蔵 迷信に支配された中世医学 かつての時代、精神疾患に関する知識はきわめて乏しく、この分野の病気は不器用な方法で治療されるのが常でした。その多くは病気そのものよりも患者を苦しめ、奇抜で、ときにはサディズムとさえ呼べるような手法が用いられていました。 とりわけ中世においては、医学分野における大きな知識の空白を迷信で埋めようとしていたため、精神の病は「頭の中に physically 埋まった小石(ペブル)」のようなもの――つまり純粋に物質的な異物――とみなされ、メスを使って患者の頭から「根絶」すべき対象と考えられて

  • 心を癒すはずの「浄化」――精神疾患に用いられた危険な下剤療法の歴史

    かつて精神疾患の治療として、強烈な下剤であるクロトン油(ハズ油)が「浄化」の目的で頻繁に使用されていました。無知が生んだ過酷な治療何世紀にもわたって、精神疾患に対する知識の欠如は、病気そのものよりも苦しい「治療」をもたらしてきました。仮にまともなケアが行われたとしても、その多くはまったく不要なものだったのです。大腸の毒素が心の病を生む?当時、決して傍流ではなかった医学上の一つの潮流によれば、精神疾患の根本原因は大腸内に溜まった毒素にあると考えられていました。つまり、患者の脳を正常に機能させるには、この毒素を体外へ排出しなければならない、という理論です。現代の目には荒唐無稽に映るこの信念は、中世

  • 聖女ジャンヌ・ダルクの指輪、ロンドンで40万ユーロで落札——しかし本物なのか?

    ロンドンで落札された「聖女の指輪」数か月前、イギリス・ロンドンで一つの銀製の指輪が約40万ユーロで落札されました。この指輪の何がそんなに特別なのでしょうか。オルレアンの乙女が遺した品か注目を集める理由は、この指輪がジャンヌ・ダルク——「オルレアンの乙女」として知られるフランスの国民的英雄——のものであると伝えられている点にあります。彼女は異端の罪に問われて死刑を宣告され、1431年5月30日、ルーアンで火刑に処された人物です。興味深いことに、裁判の記録によれば、ジャンヌ自身がこの宝石について語っていたといいます。それは金メッキを施したシンプルな銀の指輪で、3つの十字架が彫られ、「Jhesus

  • ウゴリーノ伯の足跡をたどる――ピサで発掘調査が始動

    監獄のウゴリーノ伯。ジュゼッペ・ディオッティによる19世紀の絵画ダンテ『神曲』に描かれた悲劇の貴族ダンテの『神曲』の中でも最も有名な一節のひとつが、ウゴリーノ伯の物語である。この逸話は、『地獄篇』第33歌で語られている。ウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカ(1210年〜1289年)は、13世紀イタリアを代表する政治家の一人だったが、悲劇的な最期を遂げたことでも知られている。息子たちとともに塔に幽閉され、餓死へと追いやられたのである。なお、彼が極限状態の中で人肉食に及んだとされる伝説も残されているが、これが史実であることは一度として立証されたことがない。謎多き人物に新たな光をそして今、多くの点で依然

  • シャルルマーニュの好物とは?――秘書が記録した皇帝の食の好み

    シャルルマーニュの肖像皇帝の食卓を伝える秘書の記録西暦800年に皇帝として戴冠し、後の神聖ローマ帝国の基礎を築いたシャルルマーニュ。その日常の食の好みについて貴重な情報を残しているのが、皇帝に仕えた秘書エギンハルトです。彼が著した『カール大帝業績録』には、政治や軍事のみならず、大帝の生活ぶりや嗜好に関する生き生きとした描写が数多く綴られています。食欲旺盛で濃い味好きの王記録によれば、シャルルマーニュは食欲旺盛な人物で、量をしっかり食べるだけでなく、料理の味付けにもかなりはっきりしたこだわりを持っていたといいます。魚とチーズへの強い執着とりわけ魚を愛した皇帝。中でも高級食材として珍重されたブルゴ

  • 中世の公証人:その役割と任務は何だったのか?

    中世の公証人が作成した証書本記事は、法学博士であり『Pills of History』にも寄稿経験のあるマリアンジェラ・ラヴェッキア(Mariangela Lavecchia)氏によって執筆されました。中世の公証人現代公証人制度を定める法律1913年法律第89号、通称「公証人法」は、公証人および公証人記録の組織体制を規定しており、その第1条において公証人の役割を明確に定義しています。それによれば、公証人とは「当事者間の契約行為および遺言に関する文書を受け取り、これに公信力を付与し、その保管を行い、謄本・証明書・抄本を発行する」ことを任務とする公務員です。公証人の起源――ボローニャとの深い結びつ

  • 異端審問はいつ誕生したのか?中世カトリック教会の宗教裁判機関の歴史

    異端審問(インクイジション)とは、カトリック教会が特別な法廷を通じて異端と闘うために設立した宗教機関です。では、この異端審問は一体いつ誕生したのでしょうか?異端審問の誕生異端審問の萌芽は、1184年に開催されたヴェローナ教会会議においてすでに見られます。しかし、制度として本格的に確立されたのは、13世紀初頭、教皇インノケンティウス3世の時代になってからでした。当時のヨーロッパ、特に南フランスではカタリ派などの異端が広まり、教会の権威が深刻な脅威にさらされていました。こうした背景から、異端者を特定し裁くための専門組織が必要とされたのです。目的は処罰ではなく「救済」?異端審問は、カトリックの正統な

  • 「角を立てる」の起源は中世ビザンツ帝国にあり――皇帝アンドロニコス1世と鹿の頭の習慣

    中世の奔放な風俗を描いた絵画。「角」の象徴はすでに当時から広く浸透しており、「角を立てる」という表現そのものも中世に誕生しました。不貞の象徴「角」はどこから来たのか配偶者に裏切られた相手に「角を立てる」という表現。その起源は、私たちの大好きな中世、それもビザンツ(東ローマ)帝国に遡ります。舞台は12世紀のコンスタンティノープル。皇帝アンドロニコス1世コムネノスは、類まれな好色家であり、抜群の誘惑の名人として知られる人物でした。彼は従兄にあたる皇帝マヌエル1世に対して陰謀を企て、ついには投獄される身となります。野心のために何でもした男帝位への階段を上るためなら手段を選ばないアンドロニコスは、従兄

  • 「身を人に委ねる」という言葉の起源――中世ヨーロッパの臣従礼に見る封建社会

    日常会話で使われる「身を委ねる」「人の手に委ねる」といった表現。実はこれらの言葉には、中世ヨーロッパの封建社会にまでさかのぼる由緒ある歴史が隠されています。中世の臣従礼から生まれた言葉イタリアの中世史専門サイト「sguardosulmedioevo.org」にエミリアーノ・アミーチ氏が寄稿した記事によれば、「自分を誰かの手に委ねなさい」という言い回しは中世に起源を持ち、家臣(ヴァッサル)が主君に忠誠を誓う儀式、すなわち臣従礼(ホマージュ)を指す言葉だったといいます。中世の叙任式・臣従礼の様子この儀式はカロリング朝の時代に確立しました。その中心となるのが「手の交差(immixtio manuum

  • ゾウ、モルモット、クマ——歴史上の偉人たちと奇妙なペット

    動物好きの歴史上の人物といえば、筆者がこれまでブログでも何度か取り上げてきた大好きなテーマです。イタリアの歴史雑誌『Focus History』(2016年2月号)には、過去の著名人と彼らが飼っていた風変わりな動物を紹介する興味深いリストが掲載されていました。そこに並んでいたのは、犬や猫といった定番のペットではなく、家庭や宮殿で飼うには珍しい動物たちです。以下、そのリストをご紹介しましょう。モーツァルトと九官鳥オーストリアの大作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1784年に購入した九官鳥(ホシムクドリ)を数年間にわたって可愛がりました。美しい声を持つこの小さな鳥は、彼の作品の一部

  • 中世の医学が現代を驚かせた:ブドウ球菌と麦粒腫に効いた「バルドの点眼薬」の秘密

    中世の医学。中世の「調合薬」は、ブドウ球菌や麦粒腫(もぐさ)までも治す力を持っていたのです。 これは、身近な病気に対する中世の民間療法について綴った、エミリアーノ・アミーチによる興味深く楽しい記事です。 当時の人々がハーブや調合薬をいかに巧みに使いこなしていたのか、その知恵と技術にはきっと驚かされることでしょう。 この記事は、sguardosulmedioevo.orgにも掲載されています。 最強の抗生物質をも退ける細菌に効いた中世の処方 黄色ブドウ球菌——最強クラスの抗生物質にも耐性を持つこの細菌は、なんと中世の治療法には敵わなかったのです。 目の感染症の治療に用いられたその魔法のような

  • 中世の女性たち:その役割は「妻」と「母」だけではなかった

    勉学に励むマリア・ディ・フランチャ中世は、過剰なほどの偏見が今なお根強く残っている歴史時代だと言えるでしょう。こうした偏見は、真実に基づいた客観的な歴史理解を妨げる要因となっています。たとえば女性とその社会的役割について考えてみましょう。「中世の女性は、結婚して子供を産むことしか許されなかった」という話を聞いたことがない人はいないはずです。確かにそれは事実ですが、それがすべてではありません。早婚・多産の時代、そして求められた「美徳」中世において、少女は12歳という早さで結婚することもあり、現代の私たちから見れば驚異的な人数の子供(9〜10人も決して珍しくありませんでした)の母親となるのが一般的

  • 鶴もツバメもごちそうだった?中世ヨーロッパの貴族たちの奇妙な食卓

    中世の宴会の食卓を思い浮かべてみてほしい。そこには、鶴をはじめとするさまざまな鳥料理が並んでいた。当時の人々にとって、これらの鳥は何よりのごちそうだったのである。過去の時代に美味とされてきた料理の中には、現代の私たちが聞くだけでゾッとしてしまうものが少なくない。古代ローマ人が珍重したヤマアラシの肉や、魚を発酵させて作った調味料ガルムなどは、その代表例だろう。しかし、中世ヨーロッパの食卓も、今日の感覚で見ればかなり奇妙なものだった。例えば14世紀には、鶴やツバメの肉が一種の「流行」となり、白鳥やコウノトリも高級食材として珍重されていたのである。鳥肉が象徴していたもの当時、鳥が好んで食べられたのは

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