世界史

歴史物語

  • 17世紀の美女たち 尿で髪をブロンドや「ティツィアーノ・レッド」に染めた美の秘密

    ルーベンスが描いた17世紀の貴婦人の肖像画。当時の女性たちは、ブロンド(あるいは赤)の髪を手に入れるために、なんと尿までも使用していました。女性が髪の手入れにこだわってきたのは古代からの伝統です。今日の目から見ると奇妙に思える方法も少なくありませんでしたが、当時としてはそれが唯一の手段であり、最も効果的な方法だったのです。実際、1600年代に書かれた女性向け美容マニュアルは数多く残されており、より美しくなるためのコツやレシピが惜しげもなく記されています。それほど昔から、女性たちは髪を染めたり明るくしたりしていたのです。尿と酢で作る「日光染め」ブロンドヘアや温かみのあるゴールデンな輝きを手に入れ

  • ドライフルーツ添えチキン・アンブロジーノ|中世から伝わるクリスマスレシピ

    ドライフルーツ添えチキン・アンブロジーノ(Pollo ambrogino alla frutta secca)クリスマスに楽しみたい、中世の祝祭料理クリスマスが近づいてくると、毎年のように昔の時代のクリスマスレシピを探したくなります。今回ご紹介するのは、中世ヨーロッパで祝日の食卓を彩った「ドライフルーツ添えのチキン・アンブロジーノ」です。「アンブロジーノ」という名前は、ミラノの守護聖人である聖アンブロージョ(サンタンブロージョ)にちなむといわれています。プルーンやデーツといったドライフルーツに、シナモン、クローブ、ナツメグのスパイスをきかせたこの一品は、まさに中世の祝祭らしい豪華で香り高い料理

  • 検疫(クアランティーネ)とは?「40日間」に由来する隔離の歴史と起源を解説

    ペスト医師私たちイタリア人は今、検疫(クアランティーネ)というものを身をもって経験しています。何日も家の中で過ごし、新型コロナウイルスとの闘いに勝つために、これからも同じ日々が続きます。それは自分のためであると同時に、他の人々のためでもあります。「検疫」という言葉は正確には何を意味するのか、なぜそう呼ばれるのか、その名前と慣習の起源はどこにあるのか——疑問に思った方も多いはずです。ここでは、知っておくべきすべてを解説します。検疫とは何か検疫とは、感染症が流行するおそれがある場合に感染拡大を食い止めるために行われる、強制的な隔離を伴う公衆衛生上の戦略です。具体的には、感染者や感染のおそれのある人

  • 中世初期の暮らしを徹底解剖――暗黒時代を生き抜くサバイバルマニュアル

    中世の女性たち はじめに 本記事は、歴史と執筆を愛する愛好家であるマウロ・ナポリエッロ氏から「Pills of History」編集部へ寄稿されました。ご協力に心より感謝申し上げます。 内容は、中世初期のイタリアにおける暮らしの特徴を、短くも網羅的にまとめた概説です。それでは、どうぞお楽しみください。 中世初期の家族の情景 想像してみてください。あなたは今、中世初期のイタリアの地に立っています。ローマ帝国の栄華ははるか昔の出来事となり、半島は政治的・社会的な激変によってすっかり疲弊していました。そこに絶え間ない異民族の侵入、疫病、そして人口の減少が追い打ちをかけます。 中世初期の人口状況――田

  • ヨハネ12世:好色と暴力にまみれた若き教皇の波乱の生涯

    教会史において最も堕落した教皇の一人として知られるヨハネ12世。聖職者やローマ教皇といえば、いつの時代も慈愛と平和の象徴として描かれがちですが、中世の教会をめぐる事情は、現代の私たちが想像するものとは大きく異なっていました。イタリア統一以前、教会は中部イタリアに広大な領土を所有しており、その頂点に立つ教皇は、必ずしも「善き羊飼い」の模範ではなかったのです。今回は、10世紀のローマで精神権力と世俗権力を一手に握りながら、数々の悪行を重ねた若き教皇・ヨハネ12世の生涯を振り返ります。聖ペトロの座に座った放蕩の少年教皇教皇が、今日私たちが知るイメージの正反対の存在だった時代がありました。性的に奔放で

  • 善良公フィリップ――中世ブルゴーニュ公爵の(過剰な)虚栄心

    ブルゴーニュ公フィリップ3世「善良公」の作者不明の肖像画。教養豊かで知的、美徳に満ちた人物だったが、同時に度を越した虚栄心の持ち主でもあった。今回ご紹介する逸話は、善良公フィリップ(1396年~1467年)の虚栄心がどれほど強かったか、そして数百年前の権力者が何をしてでも自分の見栄を守ろうとしたのかを、如実に物語るものです。教養人でありながら、欠点も多かったブルゴーニュ公フィリップ3世、通称「善良公」は、芸術と文学を愛する教養ある人物で、知性にあふれ、並外れた政治的嗅覚の持ち主でした。しかし、誰もがそうであるように、彼にも欠点がありました。当時の年代記によれば、彼は豪華絢爛な儀礼を好み、快楽に

  • ダンテの時代、フィレンツェの小学校はどんな場所だったのか?――詩人ダンテも通った中世の初等教育

    中世、二人の子どもが遊びの中で学んでいる様子 ダンテの時代のフィレンツェの小学校 ダンテ・アリギエーリが生きた時代、フィレンツェの小学校はどのような場所だったのでしょうか? その構成や主な特徴を見ていく前に、まず押さえておきたい事実があります。なんと、中世のフィレンツェの子どもたちも学校に通っていたのです。ただし、上流階級や貴族、裕福なブルジョワの家庭では、学校へ通わせる代わりに家庭教師を雇うことが好まれました。 生徒ダンテ 当時の学校制度を知るうえで貴重な手がかりとなるのが、1277年の日付があるアリギエーリ家に関する文書です。 それによると、1300年以前のフィレンツェには、doctor

  • デンマーク王スヴェン1世はなぜ「髭叉(フォークビアード)」と呼ばれたのか?

    当時の男性ファッションに倣ったことにより、デンマーク王スヴェン1世は歴史に「髭叉(ひざさ)」という名で刻まれることになりました。デンマーク王スヴェン1世とはスヴェン1世(968年頃~1014年)は、バイキングの指導者にして、ハラルド青歯王ことハーラル1世の息子であり、後にイングランドを征服するカヌート大王の父でもあります。彼はデンマーク、イングランド、そしてノルウェーの一部を支配した王として知られています。そんな彼が、歴史上「髭叉(フォークビアード)」と呼ばれるようになった理由をご存じでしょうか?由来は中世の男性ファッションその答えは、当時の世界のこの地域で流行していた男性ファッションにありま

  • 西暦7世紀:痔の「ソフト」な治療法

    古代における痔の治療は、現代人が想像する以上に過酷なものでした。西暦7世紀、アイルランド出身の修道士フィアクル(Fiacro)は、当時広く行われていた治療法と比べて、はるかに穏やかな「ソフト」な治療法を提唱しました。中世以前の痔の治療は決して楽な道ではなかった以前の記事では、中世において痔に悩まされることがどれほど大変であり、なぜそうであったのかについてご紹介しました。当時の患者にとって、治癒を目指すために選べる手段はほぼ次の二つしかありませんでした。医師の手による無残な「裂開」――医師の手技が十分に優れていることを祈るしかありませんでした。赤熱した鉄で焼き灼くこと。しかも、その場の激痛はさて

  • 中世から伝わるクリスマス菓子「スパイスパン」のレシピ

    中世の食文化とクリスマス クリスマスの季節が近づいてきました。例年のようにこの時期になると、「昔ながらのクリスマスレシピ」シリーズをお届けしています。今回は、中世ヨーロッパにルーツを持つ甘いお菓子「スパイスパン(Spiced Bread)」をご紹介しましょう。 このレシピは、当サイト「Pills of History(歴史のひとくち)」のパートナーサイトであるsguardosulmedioevo.orgで公開されているものです。材料が少なく、作り方はとてもシンプル。それでいて味わい深く、クリスマスの手作りスイーツにぴったりの一品です。 砂糖とはちみつ、ナッツ類、そして香辛料を組み合わせたこの

  • リーキのトーストで味わう中世のクリスマス――古のクリスマスレシピ

    中世ヨーロッパの食卓を彩った料理の数々。その中でも、リーキ(西洋ネギ)を使ったトーストは、クリスマスに限らず日常的に親しまれていた一品でした。イタリアの中世専門サイト「sguardosulmedioevo.org」より、現代の食卓にも簡単に取り入れられる中世のクリスマスレシピをご紹介します。中世のオリジナルレシピリーキの白い部分を細かく刻み、ワイン・オイル・塩で柔らかくなるまで煮込みます。パンをトーストして皿に盛り、熱々のソースをかけて供します。現代版アレンジレシピ(6人分)材料リーキ 6本辛口の白ワイン 1グラス自家製パンのスライス 6枚(トースト用)塩・こしょう 各適量エキストラバージンオ

  • サヴォイアルディ(レディフィンガー)はいつ誕生した?中世に遡るビスケットの歴史

    手作りデザートに欠かせない「サヴォイアルディ」とは? ティラミスやスポンジケーキなど、数多くの手作りデザートに使われることでおなじみの細長いビスケット「サヴォイアルディ(Savoiardi)」。その起源は、なんと中世まで遡ります。 正確には14世紀末のことで、その名前はイタリアの名門サヴォイア家(House of Savoy)に由来しています。 サヴォイア伯の料理人が生んだ逸品 伝えられるところによると、サヴォイア伯アメデオ6世(Amedeo VI)に仕えていた料理人が、王室一行がシャンベリ(Chambéry)を訪問した際に、このビスケットを考案したといわれています。 当時のオリジナルのレシ

  • フランス国王ルイ9世の真の死因とは?ペスト説を覆す新研究

    ルイ9世の肖像 聖王ルイ9世、その死因の謎 フランス国王ルイ9世は、列聖された後、「サン・ルイ(聖ルイ)」と呼ばれるようになりました。しかし、この名君は本当に何が原因で命を落としたのでしょうか。 ご存じのとおり、ルイ9世は第8回十字軍の最中、チュニスの城壁下で原因不明の病に倒れ、この世を去りました。 これまで歴史学者たちの間では、当時猛威を振るっていたペストが死因であるとの見方が主流でした。ところが、近年の研究がこの長年の定説を覆したのです。 顎骨の科学分析が明かした真実 歴史上の人物の遺骨分析を専門とする古人類学者フィリップ・シャルリエ氏は、国王の顎骨をスキャナー撮影および放射性炭素年代測

  • ナポリ王ラディスラオ1世の謎の死:病死か、それとも「禁じられた毒殺」か?

    ナポリ王ラディスラオ1世の肖像画 「寛大王」と呼ばれた王の突然の死 ナポリ王ラディスラオ1世――「寛大王(イル・マニャーニモ)」の異名を持つこの王は、実際にはどのようにして命を落としたのでしょうか。 その死は、公式に語られるように病気が原因だったのでしょうか。それとも、常軌を逸した方法による暗殺だったのでしょうか。 公式な記録によれば、38歳という若すぎる死の原因は前立腺の感染症とされ、その一因として、彼の放蕩で知られた私生活が指摘されています。 しかし一方で、どこかに一粒の真実が潜んでいるかもしれない伝説も、この王の死には付きまとっています。 毒への恐怖と「味見役」の習慣 ラディスラオ1世

  • ボローニャで中世ユダヤ人墓地が発見される――イタリア最大級の408基の埋葬

    ボローニャで見つかったユダヤ人墓地の一部 イタリア最大級のユダヤ人墓地が出現 イタリアのボローニャにおいて、考古学上きわめて重要かつ予想外の発見がありました。中世のユダヤ人墓地が出土したのです。確認された埋葬は408基にのぼり、これまでにイタリア国内で発見されたユダヤ人墓地としては最大規模とされています。 1569年、教皇勅書によって失われた墓地 この墓地は、約200年間にわたりボローニャのユダヤ人たちの埋葬地として使われてきました。しかし、16世紀半ばに出された一連の教皇勅書(ブル)の規定に従い、遠く1569年に完全に破壊されました。その結果、墓地の存在を示す痕跡はすべて失われたと長らく考

  • 中世イングランドのクリスマス菓子「フルーツコロッケ」のレシピ

    画像は、本記事で紹介するフルーツコロッケのレシピが収められた、中世イングランドの料理書『The Forme of Cury』(1390年)の一ページです。中世イングランド最重要の料理書『The Forme of Cury』とは今回ご紹介するのは、1390年に初版が刊行された、中世イングランドで最も重要な料理書『The Forme of Cury』(ザ・フォルム・オブ・キュリー)から採り上げたレシピです。この甘い菓子は、当時の貴族の食卓において、特にクリスマスの時期に振る舞われていました。もうすぐ訪れるホリデーシーズンに、ぜひ作ってみませんか?以下に、フルーツコロッケ(Rysshews of f

  • 中世の売春――「必要悪」として黙認された最古の職業

    中世の典型的な公衆浴場。実態は売春の場であった中世における売春の捉えられ方中世の売春は、どのように見なされていたのでしょうか。建前の上では「非常に悪いこと」でしたが、実際の社会的評価はそれよりはるかに寛容なものでした。婚姻外の性行為は罪深い行為、すなわち常に悪とみなされていました。しかし時代が下るにつれ、社会は「世界で最も古い職業」に対して次第に寛容になり(そして同時に偽善的にもなり)、これをいわば必要悪――なくてはならない悪――として受け入れるようになっていったのです。売春が許容された二つの理由その理由は主に二つありました。第一に、売春は人間の最も原始的な性的本能を管理・抑制するための手段と

  • 中世に魔女は焼かれた?――実は違う、魔女狩りの真実

    魔女の火刑「中世には魔女が焼かれていた」は本当か?多くの人が当然のこととして受け入れているこの通説、実は誤りです。中世(そしてそれ以外の時代についても)には、払拭すべき俗説や迷信、神話が数多く存在します。その中でも最も広く浸透しているのが、まさにこの「中世の魔女火刑」というイメージなのです。実際にはどうだったのか魔女の嫌疑をかけられた女性たちを焼き殺したあの恐ろしい火刑は、実は中世ではなく、その後の時代、すなわち16世紀から17世紀に集中して行われていました。現存する文書の記録によれば、16世紀初頭の北イタリアだけで約3,000件、さらに17世紀のポーランド一国だけでも10,000件を超える処

  • 初夜権(ius primae noctis)の真実:それは実際には何だったのか?

    初夜権とは何だったのか?「初夜権(ius primae noctis)」——この言葉を聞いて多くの人が思い浮かべるのは、中世の封建領主が家臣の新妻と初夜を過ごす権利という衝撃的なイメージではないでしょうか。フランス語では「droit du seigneur(領主の権利)」とも呼ばれるこの制度は、映画や小説の題材にもなり、強い印象を残してきました。しかし、歴史学の研究によれば、その通説は誤りなのです。実際の初夜権とは、ほぼ間違いなく、領主が結婚の承認と引き換えに徴収していた単なる「税金」にすぎなかったと考えられています。一般に信じられている「初夜権」のイメージ中世ヨーロッパの中世期を通じて広く知

  • ドラキュラ伯爵は実在したのか?架空の怪物と歴史上の人物の意外な関係

    1931年の映画版『ドラキュラ』より ドラキュラ伯爵は架空の文学キャラクター 不気味でありながら強烈な魅力を放つドラキュラ伯爵は、1897年に出版されたブラム・ストーカーの同名のゴシック小説の主人公です。つまり彼は架空の文学キャラクターでありながら、「彼を知らない人はいない」と言われるほど世界的な人気を博すキャラクターへと成長しました。 モデルとなった実在の君主「串刺し公」 しかし、作家ストーカーがこの怪物の外見や性格を形作る際に、強いインスピレーションを受けたのが実在の支配者、ワラキア公ヴラド3世(1431年〜1477年)でした。彼はあまりにも残酷な人物だったため、歴史に「串刺し公(ヴ

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