世界史

ヨーロッパの歴史

  • ヌミディア王ユグルタの生涯とユグルタ戦争――ローマ共和政の腐敗を暴いた戦い

    ユグルタ戦争(紀元前112年〜紀元前106年)は、北アフリカのヌミディア王国と共和政ローマの間で繰り広げられた戦争です。 ヌミディアといえば「騎馬の王国」として知られ、第二次ポエニ戦争の勝敗を左右した存在でした。 ハンニバルはヌミディア騎兵とともにアルプスを越え、ローマ軍を圧倒しました。一方、スキピオはヌミディア王マシニッサと手を組むことで、ハンニバルを打ち破っています。 それ以来、ヌミディアはローマの同盟国として繁栄を続けてきました。では、なぜ両国は戦争へと向かうことになったのでしょうか。 野心家のヌミディア王ユグルタ ユグルタとは、当時のヌミディア王の名前です。 紀元前149年、スキピオ

  • ローマ内戦真っ盛り!社会戦争(同盟市戦争)の原因と結果を徹底解説!

    はじめに:山川の用語集だけでは分からない「社会戦争」山川出版社『世界史用語集』では、社会戦争について次のように記述されています。「前91~前88年、イタリア半島の同盟市がローマ市民権を要求して起こした反乱。元老院の承認のもと市民権の付与を約したスッラが鎮圧。」筆者が高校生の頃、この一文を読んでも意味がよく分かりませんでした。それなのに、意味を理解しないまま点数だけは取れていたのです。高校生にとって世界史は、単なる得点のための科目でしかありません。だからこそ今回は、社会戦争を本当に理解できるよう、原因から結果まで丁寧に解説していきます。同盟市とは何か?ローマの歴史は、ポエニ戦争を境に大きく分けら

  • ローマ史上最悪の政治家?ガイウス・マリウス――庶民出身の英雄、晩年の暴走と粛清の生涯

    マリウスといえば、今でこそジャニーズ(現STARTO ENTERTAINMENT)のマリウス葉が真っ先に思い浮かびますが、今回紹介するのは残念ながらイケメンの彼ではなく、共和政ローマ末期に活躍した「変わり者の伯父さん」、ガイウス・マリウスです。ちなみにマリウス葉はドイツ出身。一方で「マリウス」は基本的にラテン系の名前なので、もしかすると彼はローマ人の子孫なのかもしれませんね。庶民に生まれ、数々の軍事的功績を挙げた男これまで紹介してきたローマ人の多くは貴族出身で、クラウディウス家やコルネリウス家といった名家の出身者ばかりでした。しかし、このマリウスは生粋の平民であり、しかもローマ市内ではなく、ロ

  • ローマを代表する政治家スッラ――派閥指導者ルキウス・コルネリウス・スッラの波乱の生涯と二面的評価

    ルキウス・コルネリウス・スッラ(紀元前138年~紀元前78年)の評価は、古代以来今日まで議論の的となっている。共和政の破壊者と呼ぶ者もいれば、共和政の化身と称える者もいる。民主主義の擁護者だという声もあれば、民主主義の否定者だという声もある。果たしてスッラの実像はどこにあるのか。今回はその波乱に満ちた生涯を辿りながら、二面的な評価の正体に迫る。 名門コルネリウス氏族の没落貴族として生まれる 平民出身のマリウスとは異なり、スッラはローマ屈指の名門パトリキ(貴族)であるコルネリウス氏族の出身だった。同氏族からは多数の執政官(コンスル)を輩出し、ローマの英雄スキピオ・アフリカヌスもまたこの氏族の出

  • 五賢帝最後の一人!マルクス・アウレリウス・アントニヌスは本当に名君だったのか?

    世界史の教科書において、最も長い名前を持つ人物の一人が今回の主人公、マルクス・アウレリウス・アントニヌスである。『哲人皇帝』として知られ、五賢帝の最後の一人として名高い彼の生涯は、遠く中国の『後漢書』において「大秦国王」として記録されるほど、東西にその名を轟かせた。 皇帝の座を約束された男 その才能を見抜いたのは、当時の皇帝ハドリアヌスだった。初代皇帝アウグストゥスがティベリウスを後継者に選んだ際、ゲルマニクスへの「つなぎ」役を期待したのと同様に、ハドリアヌスはアントニヌス・ピウスを後継者とする条件として、彼とアウレリウス、そしてもう一人のルキウス・ウェルスを養子に迎えることを定めた。 ルキ

  • 賢帝に牙をむいた男!アウィディウス・カッシウスの反乱は何を意味したのか

    五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスに反旗を翻した男こそ、ガイウス・アウィディウス・カッシウスです。当時のローマ帝国において皇帝に次ぐ地位と権力を手にしながら、なぜ彼は反乱に踏み切ったのでしょうか。 本記事では、その背景と歴史的な意味について考えていきます。 シリア生まれのギリシャ系エリート カッシウスは、現在のシリア北部の都市キュロスで生まれました。シリア州の中心都市アンティオキアから約100km離れた町です。 父ガイウス・アウィディウス・ヘリオドロスは、ハドリアヌス帝の時代に重用され、アントニヌス・ピウスの時代にはエジプト長官にまで昇りつめた人物でした。カッシウスは、極めて

  • ローマ衰退のきっかけ!アウグスタ・ルキラの生涯と弟コンモドゥス暗殺未遂事件の全貌

    はじめに――歴史に名を残す「悪女」たち 歴史好きの女性は、意外と多くないのかもしれません。 世界史や日本史で活躍する人物は圧倒的に男性が中心で、女性が登場すると思えば、その多くは悪女や悪后として語られることが多いからです。 というわけで、今回も「悪役」を紹介します。 今回の主人公はルキラ。世界史的な有名人とされる五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの娘であり、「アウグスタ」と呼ばれる皇后に相当する地位にあった女性です。 なぜ彼女が悪役なのか。一体何をしでかしたのか。順を追って見ていきましょう。 皇帝の妻ではないのに「アウグスタ」 ルキラは148年から150年頃、五賢帝最後の皇

  • 在位期間はわずか86日!第18代ローマ皇帝プブリウス・ヘルウィウス・ペルティナクスの波乱の生涯

    「賢帝」と呼ばれたマルクス・アウレリウス・アントニヌスが、息子のコンモドゥスを後継者に指名した理由については、父子の情愛だけでなく、帝国内部の混乱を避けるためだったとする説があります。 当時のローマ帝国は、あまりにも広大でした。北はブリタニアから東はメソポタミア、西はヒスパニア(スペイン)から南はアフリカにまで及ぶ広大な領土を統治するため、各属州には総督が置かれ、それぞれ有能な将軍と軍団が配備されていました。 一方、ローマ本国には大規模な常備軍を置く必要がなく、守備兵力はわずか1万人ほどの近衛兵だけでした。皇帝アウレリウスが恐れていたのは、各属州の総督たちが手薄なローマへ攻め込んでくること

  • 金で帝位を買った男――第19代ローマ皇帝ディディウス・ユリアヌスの悲しい最期

    皇帝コンモドゥスの死後、ローマの実権は近衛兵団(プラエトリアニ)の手に握られることになりました。 コンモドゥスを葬ったとされる近衛長官レトゥスは、その後即位したペルティナクス(プブリウス・ヘルウィウス・ペルティナクス)までも殺害してしまいます。 こうして「皇帝メーカー」と化した近衛長官は、次期皇帝の座を入札にかけました。そしてその権利を金で買い取ったのが、ディディウス・ユリアヌスだったのです。 代々元老院議員の名門に生まれて ディディウス・ユリアヌスを一言でいえば、「富める者」でした。 彼を語るうえでは、代々続いた元老院議員の家系を思い浮かべるだけで十分でしょう。 現在のミラノにあたる土地に

  • セウェルス王朝の創始者!第20代ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの波乱に満ちた生涯

    ローマ皇帝コンモドゥスが暗殺されると、近衛兵に担がれて即位したペルティナクスも、わずか数か月で近衛兵の手によって殺害されてしまいました。さらに近衛兵は、次の皇帝の座を「競売」にかけるという前代未聞の暴挙に出ます。 この競売に勝って帝位を手にしたのはディディウス・ユリアヌスでした。しかし、これに納得しない各属州の総督たちは、次々と皇帝を名乗り始めます。 ブリタンニア総督 クロディウス・アルビヌス シリア総督 ペスケンニウス・ニゲル パンノニア総督 セプティミウス・セウェルス 3人とも、先帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(哲学者皇帝)によって任命された有能な武将でした。アウレリウスが危

  • 第21代ローマ皇帝カラカラとは?「闇の王子」と呼ばれた暴君の統治を解説

    カラカラとはどんな皇帝?本名はとても長い カラカラは非常に個性的な皇帝ですが、正式名称は「インペラトル・カエサル・マルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌス・ピウス・アウグストゥス」。つまり「カラカラ」はあだ名なのです。 本名があまりに長いため、誰もが彼をカラカラと呼ぶようになりました。 「カラカラ」の語源は、彼がガリア地方の民族衣装である「カラカッルス」という外套を好んで着用していたことに由来します。ちなみに、軍用ブーツの愛称で呼ばれたカリグラと同じく、あだ名で知られる皇帝の代表例といえます。成人してから暴君へと変貌した点でも、二人はどこか似ていますね。 なぜ名前がこんなに長くなった

  • 在位わずか1年――第22代ローマ皇帝マクリヌスの短すぎる治世

    ローマ帝国の歴史は、いくつかの時期に分けて考えることができます。最初の区分となるのが「ユリウス・クラウディウス朝」です。 この名称は、ユリウス家とクラウディウス家の人々がローマ帝国の帝位を継承したことに由来しています。 やや馴染みは薄いものの、セプティミウス・セウェルスとカラカラの時代も「セウェルス朝」と呼ばれることがあります。 今回ご紹介するのは、カラカラ帝の暗殺によってセウェルス朝が断絶した後に即位した皇帝、マクリヌスです。しかし彼の治世は、瞬く間に幕を閉じることになります……。 わずか1年で終わった皇帝の座 カラカラ帝はパルティア遠征の最中に暗殺されました。29年の短い生涯でした。母ユ

  • ローマ史上最悪の暴君――第23代皇帝エラガバルスの狂気と破滅の4年間

    ローマで最も忌み嫌われた皇帝は誰か? キリスト教徒にとって最も憎まれた皇帝はネロであり、一般的に「ローマの暴君」といえばネロの名が挙がる。しかし、同時代のローマ市民から最も忌避されたのは、第23代皇帝エラガバルス(別名ヘリオガバルス)だったのではないかと歴史家は指摘する。 セウェルス家の血を引く少年 エラガバルスは、第20代皇帝セプティミウス・セウェルスの妻ユリア・ドムナの妹、ユリア・マエサの孫にあたる。セウェルス家はシリア出身の祭司階級の血筋であり、元老院は当初この家系の即位を快く思っていなかった。ドムナ自身は慎ましく振る舞ったが、姉マエサは野心を隠さなかった。 カラカラ(セウェルスの

  • 偉人になれなかった男!ローマ帝国第24代皇帝アレクサンダー・セウェルスの悲劇

    英雄や名君と呼ばれる人物になるには、単に優秀であるだけでは不十分です。現代社会に「官僚的な英雄」や「名君」は存在しません。いくら優秀であっても、国を救い、民に光をもたらす存在にはなれないのです。アレクサンダー・セウェルスは非常に有能な人物でした。歴史家たちもその治世を高く評価しています。しかし、英雄や名君に必要なカリスマ性と幸運を欠いていたのです。即位と善政アレクサンダー・セウェルスは、ローマ史上最悪の暴君とされるエラガバルスと同じく、ユリア・メサの孫として生まれました。ところがアレクサンダーは、エラガバルスの親族とは思えないほど穏やかで誠実な性格の持ち主でした。祖母ユリア・メサが任命したロー

  • 三世紀の危機:ローマ帝国「兵舎皇帝」時代の全貌――知られざる50年の混迷と再生

    山川出版社の用語集によれば、セウェルス帝以降、あるいはアレクサンデル・セウェルス帝暗殺以降、ローマは「兵舎皇帝(バラックス・エンペラー)時代」と呼ばれる混乱期に突入する。わずか50年間で26人もの皇帝が立ち、そのほとんどが非業の死を遂げたこの時代について、主要な皇帝と出来事を時系列で整理する。 マクシミヌス・トラクスと「六皇帝の年」(235年~238年) アレクサンデル・セウェルス帝が公然と暗殺されると、軍団兵によって推戴されたのがトレキア出身のマクシミヌス・トラクスである。セウェルス帝に見出された叩き上げの兵士で、その巨躯と怪力は伝説的だ。軍内での模擬戦16連勝の後、皇帝自ら「この馬につ

  • 古代ローマ最大の傑作!ヴェルギリウス『アエネイス』のあらすじを5分で解説

    文化史は、高校生や大学受験で世界史を選択している人にとって避けて通れないテーマです。すべてを読破できれば理想的ですが、残念ながら時間はいくらあっても足りません。そこで今回は、古代ローマ最大の傑作叙事詩と称される『アエネイス』のあらすじを、5分で理解できるよう分かりやすく解説します!5分でわかる『アエネイス』のあらすじ前提知識として押さえたい「トロイア戦争」『アエネイス』を理解するには、まず「トロイア戦争」について知っておくのが近道です。トロイア戦争は、ギリシャ・ローマ文学を学ぶうえで欠かせない出来事であり、ギリシャの詩人ホメロスによる名作『イリアス』や『オデュッセイア』も、この戦争を題材にして

  • ローマ王国二代目王「ヌマ・ポンピリウス」とは何者か?~なぜ10月は「October(第8の月)」なのか~

    日本ではほぼ無名だが、実は大人物だった二代目王日本で「ヌマ」という人物の名前を聞いたことがある人は、どれくらいいるでしょうか。世界での知名度はともかく、日本では知っている人が少ないと言っても過言ではありません。ところが調べてみると、この人物はかなりの優れた人だったのです。今回は、ローマ王国の二代目王「ヌマ・ポンピリウス」についてお話しします。ロムルスの後継者に白羽の矢が立った男忽然と姿を消した初代王ロムルスの後継者を誰にするかで、ローマは大きな揉め事を抱えていたようです。ローマという国家は興味深く、王政ローマから帝政ローマに至るまで、基本的に「世襲」という発想がありません。世襲の概念を持たない

  • ローマ王国第3代王トゥルス・ホスティリウスを熱く語る!〜ローマを都市から国家へ変えた男〜

    日本でローマ王政の時代の歴史を知っている人は、おそらくそれほど多くないだろう。教科書にもほとんど登場しないし、帝政ローマのように華々しい時代でもないからだ。 海外ではどうなのかは分からないが……。 しかし、この時代をじっくりと眺めてみると、実に興味深いポイントが数多く隠れている。 というわけで今回は、ローマ王国第3代王「トゥルス・ホスティリウス」について、たっぷりと語っていきたいと思う。 再びラテン人の王へ 初代のロムルスはラテン人、第2代のヌマはサビニ人、そしてトゥルスは再びラテン人である。 ラテン人が王位に就くと、ローマは好戦的な色合いを強める。後の大航海時代におけるスペインを見てもわか

  • ローマ王国第4代国王アンクス・マルキウスの功績まとめ!オスティア征服と塩・水道事業の意義

    ローマ王政時代の特徴――7人の王が約200年を統治ローマの王政時代は約200年続きましたが、王はわずか7人しかいません。ローマの王は終身制を特徴とし、一人ひとりが長期間にわたって在位しました。日本の幕府や中国の歴代王朝は短命に終わることが多く、50年間で20人以上の皇帝が交代したローマの軍人皇帝時代とは対照的です。その理由はいくつか考えられます。当時のローマはまだ規模が小さかったため権力闘争が起きにくかったこと、そして王位は世襲ではなく、実力のある人物が選ばれていたことが挙げられます。ヌマの孫、アンクス・マルキウス第4代国王アンクス・マルキウスは世襲ではなく、サビニ族の出身でした。母は第2代王

  • 野心家!第5代ローマ王「タルクィニウス・プリスクス」の凄さに迫る

    私はサイト運営をしている人間なので、検索ボリュームやSEOについて無知なわけではありません。だからこそ、「ローマ王国のまとめ」記事にアクセスが見込めないことも十分理解しています。 それでも構いません! このブログは、書きたいときに書きたいことを書く。それだけがこのブログの唯一のルールです。 ローマ初のエトルリア系の王 山川出版社の教科書や用語集では、ローマ人はエトルリア人から独立したことになっていますが、実はローマにもエトルリア人の王が存在しました。 それが第5代の王「タルクィニウス・プリスクス」です。 ただし、タルクィニウスはいわゆる純血のエトルリア人ではなく、父がギリシャ人、母がエトルリ

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