晩年のヤン3世ソビエスキーは、ますます体調を崩すようになっていた。君主がゆっくりと苦悶していく様を、宮廷医師たちは手をこまねいて見守るほかなかった。王の死後ですら、彼らの診断は割れたままだった。死因として挙げられたのは、心臓発作、腎臓病、梅毒、さらには……殺人まであったのである。 愛するときも激しく、怒るときも激しい。ヤン3世ソビエスキーは、感情のコントロールが得意な君主では決してなかった。そのため宮廷の医師たちは、脳出血(卒中)による死を予測し、予防策として王の体内から余分な血液を抜くよう命じていた。 しかし1696年6月17日、「レフ・レヒスタン(ポーランドの獅子)」がこの世に別れを告げた